考察の部屋

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さらざんまい最終回のストーリーを徹底考察

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2019年6月20日に最終回を迎えた『さらざんまい』。

最終回では、悠が救われたり、ケッピが黒ケッピと合体して完全体になったり、玲央と真武が復活したりと、いろいろありました。大円団のハッピーエンドです。
とはいえ、私は、よくわかりませんでした(泣)

結局何がどうなったのか?

さらざんまい最終回。主なストーリーは次の通りです。

さらざんまい最終回のストーリー

【参考】さらざんまい第十一皿
  • 悠はつながりを絶ちながら円の外側を目指す
  • 「4年前の一稀」にミサンガを届ける
  • 未来が漏洩する

では、これは何を意味しているのか? それは…

悠の存在の消滅、そしてカワウソの狙いでもある「はじまらない、おわらない、つながらない」を阻止し「はじまりからおわりまで丸い円でつながる」に変えた。

当記事では、このように考えています!
根拠は「最終回の描写や演出」にあります。

とはいえ、結論だけ言われてもよくわからないと思います。汗
そこで、当記事では「さらざんまいの最終回で起こった出来事」を丹念に見ていくことで「最終回のストーリーの意味」を読み解いていきます!

悠はつながりを絶ちながら円の外側を目指す

まずは「悠の行動」=「つながりを絶ちながら円の外側を目指す」を見ていきましょう。

あらすじ(悠が黒ケッピに飲み込まれるまで)

そもそもどうして悠が黒ケッピに飲み込まれたのかというと、最終回の前話「第十皿つながりたいけど、つながれない」で黒ケッピが解放されたこと原因です。
「欲望か、愛か」の判定に関わっていた「黒ケッピ」がシステムから解放され、吾妻橋に舞い降ります。

最終回直前のあらすじ

【参考】さらざんまい第九皿、さらざんまい第十皿

黒ケッピは口を開き、紫色の触手のようなもので「もう疲れた」と言っていた悠を絡め取って、飲み込んでいきます。

「黒ケッピ=絶望」に飲み込まれた悠

黒ケッピに飲み込まれた悠。
第十皿のケッピの台詞の通り「黒ケッピは、ケッピが切り離した絶望」です。

ケッピと黒ケッピ

【引用】さらざんまい第十皿

ケッピ「あれはかつてカワウソに奪われた私の絶望ですケロ」

ケッピ「戦乱の最中、絶望に飲み込まれそうになった私は自らの尻子玉を二つに割ったのですケロ」

つまり「黒ケッピに飲み込まれた悠」は「絶望に飲み込まれた」とも言えます。

悠は「はじまらず、おわらず、つながらない場所」を目指す

さて、黒ケッピ(=絶望)に飲み込まれた悠、ある地点まで落下した悠は、過去の自分自身を目にします。

悠と「さっきのお前たち」

【引用】さらざんまい第十一皿

戸惑う悠の前に誓(の姿をしたカワウソ)が現れます。
カワウソは「欲望の概念」のため、ここで現れた誓は「悠の欲望」と考えられます。

自分自身を前に「これは?」と戸惑う悠に対して、誓は「さっきのお前たちだ」と説明します。

誓「世界の円の外側はこのずっと奥底にある。はじまらず、おわらず、つながれない場所。お前はそこにいくまでにつながりを絶つんだ」
悠「つながりを絶つ?」
誓「簡単だ。その銃で撃てばいい。過去のお前自身をな」

誓(悠の欲望)は、銃で過去の悠を撃って消していき、世界の円の外側を目指すように提案します。
悠は誓の言葉に従い、銃で過去の自分を撃ち、つながりを絶っていきます。

悠を追うケッピ・一稀・燕太

【引用】さらざんまい第十一皿

他方で、一稀、燕太、ケッピもまた黒ケッピの口をこじ開け、絶望(=黒ケッピ)の中に侵入。悠を追いかけます。
ケッピは悠が何をしているかを説明。

ケッピ「まずい。悠は過去の自分を消しながら、円の外側に向かっていますケロ」 ケッピ「そうなれば、あなたたちのつながりも、悠の存在も消えてしまいますケロ」

これを聞いた一稀と燕太は「悠を止める」と決意します。

「存在の消滅=死」ではない

「絶望(=黒ケッピ)」に飲み込まれた悠は「過去の自分」の存在を抹消し「円の外側」に向かっています。

円の外側に弾き出される→忘却

【参考】さらざんまい第二皿

悠が行っている、過去の自分を撃つことで「つながりを絶つ=存在を消す」という行動ですが、これは「過去の自分を殺している(=悠の死)」というわけではありません。(銃で撃つという描写が如何にも「殺している」ように見えますが違います。汗)

「存在の消滅」と「死ぬこと」はイコールではないからです。

存在の消滅と言えば、カパゾンビ。
彼らは円の外側に弾かれ「初めからなかったこと」になっています。

「存在の消滅」とは?

「存在の消滅」とは、その人の存在が初めからなかったことになることを指します。人々の記憶から忘れ去られ、データや写真からも消え去ります。

それだけでなく、その人物が関わった「過去の出来事」も書き換えられ「その人がいたことによって起こった出来事」もなかったことになります。
ですので、一稀を追いかけて遥河が交通事故に遭うこともなくなります。

これについては、第六皿にてケッピが詳細に解説しています。

第六皿の燕太と悠

【引用】さらざんまい第六皿

悠「尻子玉を無くしたら、そいつはどうなる! カパゾンビみたいに死ぬんじゃないのか?」

ケッピ「人間は尻子玉でつながっていますケロ。それを失うと誰ともつながれなくなって世界の円の外側に弾かれるのですケロ」
ケッピ「矢逆一稀という人間は初めからこの世界に存在しなかったことになりますケロ。あなたにまつわる記憶や出来事や物。全てがなかったことになりますケロ」

燕太「なんだよそれ。死ぬよりひどいじゃねえか!」

これが「死ぬよりひどい」、存在の消滅です。

誰ともつながれなくなり(=つながりを絶たれ)、「初めからなかったこと」になり、存在自体が消えるため、人々の記憶からも忘れ去られます(忘却)。

「死」と「存在の消滅」の違い

では、さらざんまいにおいて死んだ人物はどうなるのでしょうか?

この点は「久慈誓」が参考になります。
彼は第九皿にて、脇腹を撃たれて、死亡しました。しかし「初めからなかったこと」にはなっていません。
誓の死後、悠は吾妻橋にて玲央を撃ったのち、一稀に希望の皿を要求(第十皿)。「兄を生き返らせる」とはっきり口にします。

悠「兄さんは死んだ。俺は兄さんを生き返らせる」

悠は「兄が死んだ」という事実を覚えています。
ですので、カパゾンビ退治後の「存在の消滅」のように、人々の記憶から「忘却」されてはいません。

  • 死:人々の記憶に残り続ける(久慈誓)
  • 存在の消滅:つながりが絶たれて、記憶からも消えて、忘却される(カパゾンビ)

死と存在の消滅の違いは「円の外側に弾かれるかどうか」でも判断できます。

死んだとしても「円の外側に弾かれていない」ので、その人の存在は人々の記憶の中に残ります。
対して、尻子玉を失い「円の外側に弾かれる」と、その人の存在はなかったことになり、忘却されます。

悠は何をしているのか?

悠は「人々の記憶から自分の存在を消す」ことで「忘却」状態を作っていると考えられます。

悠は尻子玉を失っていません。
ですので、円の外側に弾かれていません。

ただし、円の外側に向かっています。

カパゾンビの例で見た通り、尻子玉を失い、円の外側に弾かれることで、つながりが絶たれ、存在が消えます。そして忘却されます。

悠が行っているのは、その逆です。人々の記憶から自分の姿を消す(=つながりを絶って、存在を消す)ことで、強制的に「忘却」させ、円の外側に出ようとします。

カパゾンビの場合と悠の場合の比較

【参考】さらざんまい第二皿、さらざんまい第十一皿

「はじまらない、おわらない、つながらない」とは?

初めからなかったことになり記憶(写真、データ等)の中から存在が消える描写で、3つの円が現れます。

記憶の中の悠が消滅する描写

【引用】さらざんまい第十一皿

3つの円は「はじまらない、おわらない、つながらない」を現していると考えられます。

はじまらない、おわらない、つながらない

【引用】さらざんまい第二皿

そして、これこそがまさに「絶望」そのものなのです。

はじまらない、おわらない、つながらない=絶望

これは第十皿にて、カワウソが明言していました。

カワウソ「希望の皿は我々がいただく。はじまらず、おわらず、つながれない絶望でこの世界を支配するのだ」

悠の行動が「はじまらない、おわらない、つながらない」を意味していることは「消滅時の3つの円の表現」だけでなく、誓の台詞からも読み取れます。

悠は、自分の存在を消していますが、存在を全て消す(=つながりを絶つ)と、悠が生きていたという事実そのものがなくなります。

そして、これこそが悠の目的です。
誓はこの行動を「傷つく前に初めからなかったことにすればいい」と説明しています。

悠と誓

【引用】さらざんまい第十一皿

誓「そうだ。全部捨てちまえ。傷つく前に初めからなかったことにしちまえばいい」

「初めからなかったことになる」ということは「はじまらない」ということ。
そして「はじまり」がなくなるということは「おわり」もなくなります。

「つながり」を絶つと「はじまらない、おわらない」状態になります。

つながりを絶つ=はじまらない、おわらない、つながらない=絶望=存在の消滅=人々の記憶から忘れ去られる(忘却)

悠は、生きていた事実そのものを消そうとしています。

一方、一稀と燕太は悠とのつながりを守ろうとしています(=悠の存在の消滅を阻止する)。

一稀「悠を止めるんだ!」
燕太「うん」

悠の存在の消滅をどうやって阻止するのか?

鍵となるアイテムは「ミサンガ」です!

「4年前の一稀」にミサンガを届ける

「悠の存在の消滅」を阻止するキーアイテムは「ミサンガ」です。

「ミサンガを渡す」ことの意味

一稀と燕太も黒ケッピの口から侵入し、悠を追いかけますが、見つけられません。
燕太は「どこまで行ったのか」と思案し、一稀が「4年前だ」と気づきます。

一稀「悠が本当に僕たちとのつながりを絶つつもりだとしたら、きっとこのミサンガをくれた日まで行くつもりだと思う」

そして、悠がくれたミサンガで一稀、悠、燕太の3人がつながったと言及。
一稀の言葉通り、『ミサンガは、一稀・悠・燕太をつないでいたキーアイテムでした。

4年前の悠とミサンガ

【引用】さらざんまい第八皿

4年前、悠の両親が死亡。悠は「誓に由利鴎(ゆりかもめ)殺害の罪を着せた」という重荷から、償いとして「サッカーを捨てる」と決意し、吾妻橋でサッカーにまつわるアイテム(ボールとミサンガ)を捨てようとします(第八皿)。

その場面に一稀が遭遇し、悠は一稀にミサンガを託します。

4年前、吾妻橋で、悠から一稀にミサンガが渡りました。

ミサンガをもらいサッカー始めた一稀ですが、一稀もまた春河の件があり、大好きなサッカーを諦め、ミサンガを捨ててしまいます。
しかし、一稀が捨てたミサンガを、春河が拾ってくれました。

春河「僕はカズちゃんと一緒に走れないから、いつか燕太兄ちゃんからカズちゃんに渡してくれないかな?」
春河はそう言って、燕太にミサンガを託します(第三皿)。

悠→一稀→春河→燕太

このような順番で、ミサンガが3人に共有されました。

そして第六皿で再び一稀の元にミサンガが戻ってきます(第六皿)。

カッパの一稀とミサンガ

【引用】さらざんまい第六皿

一稀「なんで? 僕捨てたのに」
燕太「春河から託された! あいつは諦めてないんだよ! お前のこと、信じて待っているんだ!」

3人はミサンガを通じてつながっていました。
ポイントは「4年前に一稀にミサンガが渡った」という事実です。

この事実が残れば「悠の存在(一稀から悠にミサンガを渡したこと)」を証明できます。

つまり、一稀と燕太は、悠にもらったミサンガを「4年前の一稀」に届けることで「誰か(悠)にもらったミサンガがきっかけでサッカーを始めた」という事実を守り、悠の存在を守ろうとしていると考えられます。

※ミサンガの詳細なやり取りは、Twitterにてまとめていますので、興味がある方、考察したい方はどうぞ。

稀にミサンガが届く!3人のつながりは守られた

その後、3人はカッパになって「4年前の一稀」へとミサンガを届けます。
途中、カワウソや黒ケッピ、シタッパーズ等の妨害もありましたが、ケッピによって復活した玲央と真武のサポート(?)もあり、無事ミサンガを届けました。

4年前の一稀にミサンガを渡すシーン

【引用】さらざんまい第十一皿

これによって「誰か(悠)にもらったミサンガがきっかけでサッカーを始めた」という事実が守られ、悠の存在も守られた、と考えられます。

悠はつながり絶ちながら=自分の存在を消しながら、円の外側「はじまらない、おわらない、つながらない場所」に向かっていましたが、ミサンガを渡せたため、これは阻止され、悠の存在が消滅することもなくなり、人々の記憶から忘れさられることもなくなりました。

未来が漏洩する

ミサンガは無事に届けられました。
そして、最後の「さらざんまい」の結果「未来が漏洩」します。

ケッピ「未来が漏洩する!」

未来の漏洩は何を意味しているのでしょうか?

そもそも「未来の漏洩」とは?

今まで漏洩してきたのは「過去の出来事」でしたが、最終回では「未来」が漏洩します。

未来の漏洩の最初のシーンでは、一稀・悠・燕太がサッカーの試合に出ています。
一稀がボールを蹴り、その後ろに悠、燕太が続きます。

悠「もう時間がない!」
燕太「このパスが通らなければ終わりだ!」
一稀「このゴールを奪いたい!」

中学生だった3人が成長し、大人になったため、やや声が低くなっているように感じられました。このことからも「未来が描かれている」と察せられます。

では「具体的にどういう未来か」ということですが、これは3人がいる場所が読み解くポイントです。

スタジアムと観客

【引用】さらざんまい第十一皿

わあっと歓声が響き渡るスタジアムには、電光掲示板があります。相当な規模です。
両手をあげて応援する観客(ピクトグラム)が手前に描かれていますが、よく見ていただきたいのは、フィールドを「スポンサー企業のロゴ」が囲っているということ。

「スポンサーが付く試合」ですので「お金をもらってプレーしている」と読み取れます。

つまり、漏洩した未来は「3人がプロのサッカー選手になった未来」と考えられます。

しかし漏洩した未来は、これから実際に起こる出来事ではなく「未来の可能性の一つ」です。

未来の漏洩が「可能性の一つ」であるこは、玲央と真武の言葉をそのまま受け取ることで理解できます。

玲央とサラ

【引用】さらざんまい第十一皿

玲央「少年たちが見たのは、いつかの彼ら」

「いつかの」という表現のため、何年後かという「具体的な時間」は特定できません。
「今より先」としか言えません。より絞り込むなら「スポンサーのつく試合に出場できる年齢」ですかね。

真武「それはいつかの未来。可能性の一つ」

真武が「可能性の一つ」と明言しました。
つまり「これから先に必ず起こる出来事」ではなく、あくまで「未来の可能性の一つが漏洩した」ということ。これが未来の漏洩です。

ここまでは、アニメを見ていればわかります。
とはいえ「だから何?」「どういうこと!?」と戸惑う方もいらっしゃると思います。(実際私は戸惑いました。汗)

そこで「未来の漏洩」が何を意味しているか?を考えていきます。

未来の漏洩は何を意味しているのか?

私はこれを「悠の存在を守ったこと」を表現しているのではないかと推測しました。
もしもミサンガを渡せなかったら「はじまらない、おわらない、つながらない」となり、悠の存在も消滅します。

しかし、ミサンガは無事に届けられました。

ミサンガを届け、悠の存在を守ったことで、「はじまらない、おわらない、つながらない」は阻止され「はじまる、おわる、つながる」に変わりました。

だからこそ描ける未来があるという「未来の可能性」の一つとして提示されているのではないか、と考えられます。

このことは、最終回にて、絶望(=黒ケッピ)と融合し、完全な姿に戻ったケッピの台詞からも読み取れます。

黒ケッピと融合したケッピの完全な姿

【引用】さらざんまい第十一皿

ケッピ「世界の円は丸く保たれた」

「丸く」がポイントです。
日本語としては「世界の円は保たれた」でも成立しますし、十分に意味は通じます。しかし、ケッピは「丸く」と言いました。

「丸く」を敢えて入れたのは「はじめからおわりまで丸い円でつながっている」という「春河の言葉」と関連しているから、と推測できます。

幼い一稀と幼い春河

【引用】さらざんまい第五皿

春河「違う服を着てたって、大人になって離れ離れになったって、僕とカズちゃんは、はじめからおわりまで丸い円でつながっているよ」

これは私も放送時「これはどういうことなの?」と、混乱したのですが、最終回の「未来の漏洩」で謎が解けます。

「はじめからおわりまで丸い円でつながっている」とは?

「未来の漏洩」時に、再び第一皿から、第十皿までのタイトルが、繰り返されます。

第一皿から第十皿までのタイトルが繰り返される

【参考】さらざんまい第十一皿

この描写は「はじめとおわりがつながっていることの表現」ではないか、と推測します。

春河が第五皿で「はじめからおわりまで丸い円でつながっている」と言いました。
これは、はじめ→おわり→はじめ→おわり→はじめ→おわり……(以下略)のように「何度も出来事が繰り返されること」を意味していると考えられます。

この時、繰り返される出来事は、前と「全く同じ出来事」ではなく「ちょっと違う出来事」です。
これについては、第七皿の燕太の姉・音寧のセリフがヒントになるかもしれません。

夏休みについて話す音寧

【引用】さらざんまい第七皿

音寧「今年の夏は泣いても笑っても逆立ちしても一度きりよ。遊びも宿題も目一杯頑張ろう」

彼女の「今年の夏は一度きり」という表現の通り、全く同じ出来事は繰り返されません。

例えば「中学1年生と2年生の夏休み」は違います。今年の夏は「一度きり」ですが、次の年にもまた夏休みがあり、同じ「夏休み」だけれど「違う」出来事が繰り返される。(出来事が繰り返されるのは「はじめからおわりまでつながっているから」だと思われます。)

このように「第一皿から第十皿のタイトルの繰り返し」によって「はじめからおわりまで丸い円でつながっている」を表現しているのではないか、と考察しました。

円

【引用】さらざんまい第十一皿

実際に「第一皿から第十皿のタイトルの繰り返し描写」の中で「円がつながる映像」が差し込まれています。

これは、より直接的に「はじめからおわりまで丸い円でつながっている」を提示しているのではないでしょうか。

未来の漏洩で「世界の円は丸く保たれた」

ケッピ「世界の円は丸く保たれた」

未来の漏洩後のケッピの台詞です。
ポイントは未来の漏洩が、悠を救った後(=ミサンガを届けた後)に起こったということ。

  • 悠の「過去」を守った
  • さらざんまいを起こしている「現在」
  • 「未来」の漏洩

未来の漏洩によって、過去、現在、未来がつながり、世界の円は丸く保たれました(=はじめはじめからおわりまで丸い円でつながった)。

「はじめ」と「おわり」がつながる演出

「はじまらない、おわらない、つながらない」を阻止して「はじめからおわりまで丸い円でつながった」。

これは、最終回の演出からも見て取れます。

最終回では、エンディング曲「スタンドバイミー(the peggies)」の後に、オープニング曲「まっさら(KANA-BOON)」が流れます。
この素敵な演出もまたおわり(=エンディング)とはじまり(=オープニング)がつながったことを表現していると考えられます。

「まっさら」の歌詞に「現在過去未来、君と繋いでいたいよ、感情を、心の奥を」とありますが、まさにその通りの出来事が描かれています。

【総括】最終回のストーリーの意味

最終回では4年前の一稀にミサンガを渡すことで、悠の存在を守りました。

4年前の一稀にミサンガを渡すシーン

【引用】さらざんまい第十一皿

悠の行動は「絶望」であり、それは「はじまらない、おわらない、つながらい」ことを意味していました。
つながりがなくなれば、悠の存在が「初めからなかったこと」になり、はじまり、おわりもなくなるからです。

そして「つながりを絶つ」ことは、カワウソの狙いでもありました。
こちらについては、第十皿エンディング後のCパートでカワウソが堂々と言葉にしています。

カワウソ「ウッソー。さあ、この世界のつながりを全て絶ち切るのだ」

この後、黒ケッピの「絶望、解放」のセリフと共に「愛か、欲望か」の判定システムの核として機能していた黒ケッピが開放され、空から吾妻橋に降ってきます。

そして、悠が黒ケッピに飲み込まれ、カワウソの狙い通りに「つながりを舘たち絶つ」、円の外側を目指します。
これを阻止するために一稀と燕太は4年前の一稀にミサンガを届けます。

4年前の悠と一稀

【引用】さらざんまい第八皿

3人の関係(つながり)は、4年前に「悠が一稀へとミサンガを渡した」ことではじまりました。

そのため「ミサンガを届けた」という事実を守ることで、悠の存在、ひいては一稀、燕太と悠の「つながり」を守りました。

つながりが守られたため、はじまりも、おわりもある状態に戻り(=はじまる、おわる、つながる)、未来が漏洩する。そして、世界の円は丸く保たれました。

まとめ

最終回のストーリーが意味していることは、

悠の存在の消滅、そしてカワウソの狙いでもある「はじまらない、おわらない、つながらない」を阻止し「はじまりからおわりまで丸い円でつながる」に変えた。

これに尽きるのではないかと思います。

そして、これを表す描写として「未来の漏洩」や「エンディングの後にオープニングが流れるという演出」があるのではないか、というのが当記事の結論です。

【蛇足】最終回考察はおわらない

最終回にはケッピの融合を初め、いくつ考えなければならない点が残っています。ストーリーの意味については上述の通りですが、疑問を解消することで、よりさらざんまいを楽しめると思いますので、引き続き考察を続けていきます!

 

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