【命と欲望】人間とカッパ、カパゾンビの違いを徹底考察【生と死】
※こちらの記事は現在調整中です。記事の内容は間違っている可能性が高いため、お気をつけください。
第9皿の放送が終わり、いよいよ残り2話となりました。
最終回目前のタイミングではありますが、ここで「人間」と「カッパ」、さらに「カパゾンビ」について考えてみました。
人間、カッパ、カパゾンビの違いは、各生物における「命・欲望・つながり」という概念を整理することで、明らかになります。
- 「欲望=命」は正しいのか?
- 【仮説】欲望と命は別物である。
- 【疑問】カパゾンビは欲望を搾り取られたのではないか?
- 命と欲望を分けると「生きている」状態がわかる
- 人間は尻子玉でつながっている
- 結局、命と欲望って何なの?
- 【総括】命・欲望・つながり
この記事で検証することは、次の2つ。
- 「欲望と命は別物」と証明する。
- 人間・カッパ・カパゾンビの違いを明らかにする。
…で、大切なことは「これを解明すると何がわかるのか」という話です。
この2つを考えて、
命と尻子玉(欲望)について明らかにする。
これを目指して頑張っていきます!汗
それでは、まずはこの考察の発端となったキャッチコピー「手放すな、欲望は君の命だ」の誤読について見ていきましょう。
「欲望=命」は正しいのか?
事の発端は「欲望は君の命だ」を読み違えたことにあります。
燕太のタイマー。単純に「生と死」の二項対立で考えてたから「死」の対になるのが「命」というのは興味深い。
— team解読 (@team_kaidoku) 2019年6月6日
キャッチコピー「手放すな、欲望は君の命だ」や、サラテレビの文字で用いられた「生と死の間」という表現。
やはり「欲望=生命」という理解で良さそう。#さらざんまい#さらざんまい考察 pic.twitter.com/Y5m4Dsu4bv
こちらのTweetと関連し「燕太のタイマーが生ではなく「命」である理由が分からない」というご指摘をいただきました。
わざわざ画像まで作っていただき本当に申し訳ございません。
— 🌸らんぼ🌸 (@skr3939blooming) June 6, 2019
結論等は理解出来たのですが、どうしても(2)が理解できませんでした。
何故死の対を命にしたのか、カッパは「生きていて死んでいる状態」なのは知っていますが、それと死の対が生ではなく命なのとは関係があるのか、が分かりません。
死の対が命である理由が分からない、というのは、全くもってその通りですので、改めて考え直したところ「そもそも欲望=命が間違っているのでは?」と。
これまで 「欲望は君の命」という文脈から、
欲望=命
と読んでいました。
しかし、これは誤読です。
何故なら「欲望=命」の場合、尻子玉を抜かれた人間は死んでしまうことになるからです。
もしも「欲望=命」の時、人間が尻子玉を抜かれたら、次のようになります。
尻子玉は欲望エネルギーを蓄積する臓器ですので「欲望=命」と仮定すると、
尻子玉を抜かれる=欲望を失う=死ぬ
と考えるのが自然です。
しかし、人間が尻子玉を抜かれると、カッパになるだけで、死ぬことはありません。
よって、欲望=命は誤読……かと思いますが「欲望=命」と考えると辻褄が合う存在がいます。
それが、カパゾンビです。
カパゾンビは尻子玉を抜かれることで、つながりも含め、存在が抹消されます。
- 人間:尻子玉を抜かれても死なず、カッパになる。欲望≠命
- カパゾンビ:尻子玉を抜かれて消滅する。欲望=命?
カパゾンビは、尻子玉を抜かれて(=欲望を失う)消滅するのだから「欲望=命で合ってる?」と考えたくなりますが……人間の場合は成立しないということは「欲望=命」はどこかで破綻していることになります。
- 「欲望≠命」は人間という例外があるため、確定
- 「欲望=命」はカパゾンビの場合は当てはまりそうだが、証明できない
今のところ「欲望=命」は証明できませんが、人間の例から考えて「欲望≠命」は確実なため、一度、欲望と命を分けて考えていきます。
【仮説】欲望と命は別物である。
この【仮説】を証明するためには「欲望」と「命」に関して深く関わっている、次の生物
- 人間
- カッパ
- カパゾンビ
に関して整理して見ていく必要があります。
…と、その前に!
忘れてはならないのが、尻子玉です。
尻子玉は、欲望を蓄積する臓器であるため、これを抜きに考えることはできません。
よって、欲望と命について見る前に、まずは「尻子玉と欲望」について明確にしていきましょう。
欲望と尻子玉について
尻子玉は、第一皿で説明されている通り「人間の尻の中にある、欲望エネルギーを蓄積する臓器」です。
つまり、欲望と尻子玉の関係は次の図のように説明できます。
- 尻子玉:欲望の入れ物
- 欲望:尻子玉の中に蓄積
カパゾンビは、尻子玉を抜かれることで消滅しますが、人は尻子玉を抜かれるとカッパになります。
つまり「カッパは尻子玉は持っていないが完全には死んでいない状態」ということになります。
さて……一旦、カパゾンビと人間について整理しましょう。
- カパゾンビ:尻子玉を抜かれると死ぬ
- 人間:尻子玉を抜かれても死なない
同じ「尻子玉を抜かれる」という状態でも、カパゾンビが死ぬのに対し、人間は死ぬことはありません。
何故か?
この違いを解消する鍵が「命」です。
人間・カッパ・カパゾンビの欲望と命
人間、カッパ、カパゾンビの3つの生物について、欲望と命という観点で整理すると次のようになります。
「欲望≠命」から欲望と命を分けて考えてみましたが、このように考えると、先ほどの矛盾が解消されます。
- カパゾンビ:尻子玉を抜かれると死ぬ。
- 人間:尻子玉を抜かれても死なない。
人間は「命と尻子玉(欲望)」 を持っているため、尻子玉を抜かれても、命は残ります。よって、死ぬことはない。
しかし、カパゾンビはゾンビにされた際、命を奪われるため、尻子玉を抜かれることで消滅してしまう。
燕太のタイマーが「命と死」になっているのは、この考え方で説明がつきます。
カッパは「生きていて死んでいる状態」ですが、
命を失うことで死ぬ。
そのため、敢えて「生と死」ではなく、このような表現にしたのではないかと考えられます。
さて、先ほどまで、次のような仮説を立てて、進めてきました。
「欲望≠命」ではないことは確実、よって、欲望と命は別物ではないか?
これに関しては、命と欲望を分けて整理してみたところ、アニメの描写を矛盾なく説明できます。(要はこの図で辻褄が合うということです。)
よって、
欲望と命は別物
と考えるのが妥当です。
……が、一つ、疑問が残ります。
欲望と命が別物とはいえますが、玲央と真武は「欲望搾取!」しています。
そのため、カパゾンビが持っているのは尻子玉だけで欲望は持っていないのではないか?と疑問が残ります。
【疑問】カパゾンビは欲望を搾り取られたのではないか?
先ほどの図、カパゾンビの尻子玉にも「欲望」と記載しました。
玲央と真武に「欲望搾取!」をされた後、カパゾンビにされるという手順のため、当然、カパゾンビの尻子玉に欲望は残ってない…と考えるのが、自然です。
しかし、カパゾンビも欲望エネルギーを持っています。
そう考えられる根拠は「アニメの尻子玉」にあります。
人間の尻子玉とカパゾンビの尻子玉
さて、先ほどの図、敢えて人間とゾンビとで尻子玉の色を変えました。
何故かというと、尻子玉は「欲望エネルギーを蓄積する臓器」ですが、人間とカパゾンビでは蓄積された欲望エネルギーの量が違うからです。
根拠となるのは、ケッピに尻子玉が搾取される場面。
尻子玉が白く光っています。
ここから、欲望エネルギーが満ちた尻子玉は白く光るということが読み取れます。
いわゆる、フル充電のような状態です。
これに対して、カパゾンビにされた者の尻子玉は、このような状態です。
具体的な構造はわかりませんが、中心に白い光が見えます。
おそらく、この輝きが「欲望エネルギー」だと思われます。
一稀たち人間の尻子玉は、ここにエネルギーが満ちている=白い輝きを放っている。
他方、カパゾンビの尻子玉は輝きが小さいため、欲望エネルギーを搾取され、小さくなったのではないか?と想像できます。
ですので、カパゾンビは欲望を搾取され、ゾンビとなった後も欲望を完全に失ったわけではないと言えそうです。
命と欲望を分けると「生きている」状態がわかる
さて、命と欲望を分けて考えることで、さらざんまいにおいて「生きている」という状態が見えてきました。
人間は「生きている」状態です。ここから、
- 人間から尻子玉を奪う→カッパになる
- 人間から命を奪う→カパゾンビになる
人間は、尻子玉を抜かれることで、カッパになります。
尻子玉(欲望)を奪われても、まだ「命」は持っているからこそ「生きていて、死んでいる状態」。
対して、人間がゾンビにされる際、命を奪われています。だからこそ、一稀たちカッパに尻子玉を抜かれることで、死んでしまいます。
つまり「さらざんまい」において、完全に「生きている」という場合、
命と尻子玉(欲望)が揃った状態
を指し、どちらか片方を失った場合は、死なないものの、欲望フィールドに侵入できる状態(生きていて、死んでいる)になります。
3つの生物の違い(命と欲望)
つまり「命・欲望」という点における、人間・カッパ・カパゾンビの違いは、先ほどの図の通りです。
表にまとめると、次の通り。
命 | 尻子玉(欲望) | |
---|---|---|
人間 | ○ | ○ |
カッパ | ○ | × |
カパゾンビ | × | △ |
カパゾンビの「△」についてですが、これは上述の通り、カパゾンビの尻子玉は、人間に比べて、欲望エネルギーが減少している状態ですので「△」としました。
これが「欲望と命」から考えた「3つの生物の違い」ですが、さらざんまいにおいては、もう一つ重要な概念があります。
それが「つながり」です。
カパゾンビは、尻子玉を抜かれることで「つながり」を失います。
つまり、命と欲望の関係には「つながり」という概念を加えて考えないと、まだ完全とは言えません。
ここからは、欲望と命に「つながり」を加え、3つの生物の違いについて改めて考えていきます。
…では、まずは「つながり」について、明確にしていきましょう。
人間は尻子玉でつながっている
「つながり」とは何か、を考える上で重要なのが第6皿。
ケッピ「人間は尻子玉でつながっていますケロ」
第6皿にて、ケッピがこのように言っていました。続きの台詞です。
ケッピ「人間は尻子玉でつながっていますケロ。それを失うと誰ともつながれなくなって世界の縁の外側にはじかれるのですケロ」
一稀「縁の外側?」
ケッピ「矢逆一稀という人間は、初めからこの世界に存在しなかったことになりますケロ」
【引用】さらざんまい第六皿
台詞の情報を整理すると、次の通りです。
- 人間は尻子玉でつながっている
- 尻子玉を失う=世界の縁の外側にはじかれる=存在しなかったことになる
では「存在しなかったことになる」というのはどういう状態か。
これもケッピが台詞で明示しています。
ケッピ「あなたにまつわる記憶や出来事や物。全てがなかったことになりますケロ」
さて、これらの情報を整理すると「つながりを失う」とは、どういうことかが見えてきます。
つながりを失う=存在の抹消
この存在の抹消は徹底したもので、ケッピが言う通り「全てがなかったことになる」という状態です。
そして尻子玉(欲望)でもって、人と人はつながっている。
命と欲望に「つながり」を加えて整理
これを「命と欲望の関係」と併せて整理すると、次の通りです。
「つながり」という概念も含めて考えると、この図で説明がつくと思います。
結局、命と欲望って何なの?
さて、3つの生物に関して、命・欲望・つながりという観点から整理、3つの生物の違いを明らかにしてきましたが、
命と欲望って結局、何。
これが肝心です。
これを明らかにするためには「命・欲望が無い状態だとどうなるか」を考えていく必要があります。
- 命を失った場合どうなるか?
- 尻子玉(欲望)を失った場合どうなるか?
この2点について見ていきましょう。
命を失った場合どうなるか?
ここで一度、燕太のタイマーに戻りましょう。
カッパは生きていて死んでいる状態。
燕太は命を失うことで死んでしまうため「命と死」という二項対立となっています。
しかし単純な「死」では「つながり」まで、失われることはありません。
これは第9皿で、久慈誓が死んだ際に、縁の外にはじかれなかったことから、そのように言えます。
よって、死=つながりの消失とはなりません。
人は尻子玉でつながっているため、つながりの消失は尻子玉(欲望)を失った際に発生します。つまり、
命を失うことと、つながりを失うことは、分けて考える必要があります。
ここで、改めて「命と死」に関する情報を整理します。
- 人間は尻子玉を抜かれても死なないが、カパゾンビは尻子玉を抜かれると死ぬ。
- 燕太の皿から察するに「命を失うことで死ぬ」。
第9皿で、燕太は「死にかけている」ものの、生きています。
肉体にダメージを負って、燕太は命を落としかけています。彼の状況を可視化するものとして「命と死」タイマーが出現しました。
よって、命と死に関しては「命を失うことが死ぬこと」として良さそうです。
命を失うこと=死ぬこと
つながりを失うとどうなるか?
命に対し、つながりを失うと「存在を抹消」されます。
これは第6皿のケッピの台詞の通りです。
ケッピ「人間は尻子玉でつながっていますケロ。それを失うと誰ともつながれなくなって世界の縁の外側にはじかれるのですケロ」
一稀「縁の外側?」
ケッピ「矢逆一稀という人間は、初めからこの世界に存在しなかったことになりますケロ」
【引用】さらざんまい第六皿
よって、
つながりを失うこと=存在の抹消
となります。
- 命を失う=死ぬ
- 尻子玉(欲望)を失う=存在の抹消
ということは、裏を返せば、
- 命がある=生きている
- 尻子玉(欲望)を持っている=つながっている
と言えるため、結論として、
命=生
尻子玉(欲望)=つながり
と言えるのではないでしょうか?
【総括】命・欲望・つながり
- 命=生
- 欲望=つながり
というのがわかったところで……
これを先ほどまでの「命・欲望・つながり」と併せると次のようになります。
つながっていないと「生きていて死んでいる」が矛盾するかもしれませんが、つながっていない状態だと「存在していない」と言えるため、死んでいるに限りなく近い状態だと推測できます。
- カパゾンビ:死んでいるため、欲望フィールドに入る
- カッパ:つながっていないから、見えていない
「見えていない」というのは、挿入歌「放課後カッパー」の歌詞にも記載されています。
誰に話かけても返事がない
ボクのこと見えてない
誰の視線もボクをとらえてない
ただ見えてない
【引用】放課後カッパー歌詞(歌手:吾妻サラwith少女式ヱリス、作詞・作曲:ロジィ大宮)
歌詞考察に関しては深く踏み入りませんが、受け取り方によっては、
- サラがカッパになった歌
- 燕太の現状の歌
このように受け止めることもできます。
生と死、命と欲望まとめ
さて、現在(第9皿放送時点)までで明示された情報で、各人の状況を整理してみると次のようになります。
命 | 尻子玉(欲望) | |
---|---|---|
人間 | ○ | ○ |
カッパ | ○ | × |
カパゾンビ | × | △ |
燕太(人間:瀕死状態) | △ | ○ |
燕太(カッパ:瀕死状態) | △ | × |
人間の死(久慈誓) | × | ○ |
カパゾンビの死 | × | × |
△=通常通りの働きができない状態
とお考えください。
「人間、カッパ、カパゾンビの違い」及び「命・欲望・つながりの関係」について、開示された情報を整理し、考察するとこのようになります。
いろいろ複雑ですが、要するに、
- 人間・カッパ・カパゾンビは「命・欲望・つながり」という観点で差別化できる。
- 「命=生」であり「尻子玉(欲望)=つながり」である。
というのが結論です。
今回の考察は以上です。
大分、複雑化してしまいました。申し訳ない…。完全に実力不足です。
今後はもっと分かりやすく説明できるように精進してまいります。
ここまで目を通してくださり、ありがとうございました!